
戦国時代の諸勢力は、必ずしも全期間絶え間なく合戦に明け暮れていたというわけではありません。
ただ少なくとも、戦国武将の各勢力間において発生する諸問題の解決に際して行使可能な手段として、武力、すなわち軍備の果たす役割に注目が集まる傾向にあったことは確かです。
諸勢力は軍備の整備・維持・向上に力を入れて、互いにしのぎを削っていました。
それは戦国大名や国人・土豪層はもとより、宗教組織や、自治組織においても同様です。
宗教組織は、依然として僧兵組織の維持や、戦闘拠点となりうる寺院の造営に力を振り分けました。あるいは、自治組織においても、矢倉や塀、環濠のような防御施設の構築、牢人の傭兵化を行っていました。彼らの中には、特殊な戦闘技術を発達させ、忍者集団となったものもいます。
さらには、一部の公家も限定的とはいえ、必ずしも自衛目的のみとは言えない軍事活動に自ら携わるなど、あらゆる階層を通じて、ある種の武力信奉があったことは事実です。
戦国時代における合戦には、示威行動や小競り合いといった程度の武力闘争が、実は大半であったようです。
後の関ヶ原合戦のように、国内を二分しての会戦・決戦といった、後の国家総力戦にある程度擬し得る戦争形態、さらには、対外国への戦争である文禄・慶長の役まで、多様な戦争形態が見られますが、それはむしろ稀であったといえます。
武力紛争の総数から見れば、その大部分は、隣接する非友好的な勢力が互いに、領地、あるいは、影響を及ぼし得る勢力圏の境境付近において繰り広げる小競り合い・抗争レベルの応酬であったようです。
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